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2014年8月の記事

2014.08.29

本日の手作り弁当(8/29)

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茄子・ピーマン・青唐辛子の味噌炒め、ミョウガの胡麻和え、ゆで卵、ミニトマト、玄米ご飯。

厳美渓の道の駅で買ってきた野菜シリーズ・・・、とはいっても、それほど変化もなく。

肉が無かったので野菜だけ(那須3本、ピーマン3個、青唐辛子2本の比率は火曜日と一緒)、味付けを味噌にしてみました。唐辛子がアタリだったようで、辛いったら辛い。

みょうがは千切りにして、山ちゃんふりかけと和えてみました。これまたピリリと辛いです。

玄米ご飯は150グラム。いつもは270グラムだからほぼ半分。弁当箱の比率が変。

で、シュウマイ入れ忘れちゃいましたよ。まあ、入れる場所もなかったのだけど。ってことで、ビックリのベジタリアン風の弁当になっちまいました。

2014.08.28

【劇】 小堺クンのおすましでshow 29

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小堺一機が30年近くやっているバラエティショウ。名前だけは知っていたけど、ようやく観ました。

館内放送で入る前説が、まあやかましいこと、やかましいこと。「上演時間は2時間半から3時間を予定してます。」って、何よそれ(笑)
二部構成で、1部が100minシアター「A GANG IS HARD! ギャングはつらいよ」というお芝居、2部は「歌とトークのおすましバラエティーSHOW」なんだって。

「A GANG IS HARD! ギャングはつらいよ」は、
「1920年代のニューヨーク。
貧しい農家の7男坊として生まれた松尾伴蔵(松尾)は夢を求めて渡米。
しかし働き口はなかなか見つからず、いつしか「裏社会」へと足を踏み入れてしまった。
根が真面目な彼は地道に悪事を重ね、その結果今や、泣くニューヨークっ子も黙る「マツオーネ・ファミリー」のボスとして、表向きはナイトクラブの経営、裏では密造酒の販売と、幅を利かせていた。この日系ギャングの成功を妬み、命と縄張りを奪おうと襲撃を重ねる地元のギャングたち。ドン・マツオーネは自身と、妻のかよ(伽代子)、息子マイケル(堀口)の為に、顧問弁護士のトム(川本)が見つけてきた、腕の立つ日系人の用心棒「ニック・K」(小堺)を雇い入れる事を決めた。しかしこのニックという男、果たして信用できるのか?
マツオーネの、命を賭けた戦いが今、始まる・・・。」
(公演WEBサイトより)

まあ、ストーリーはあってないようなもの。
小堺と松尾の、どこまでがお約束で、どこからがアドリブなのかわからない、体力勝負のやりとりが続いていく。
いや、凄いですわ。
にしても、小堺一機って、もともとは何の人だったんだろう。
今回の舞台でも、物まね、歌、タップダンス、トロンボーンと多彩な芸を披露してましたわ。

歌とトークではもっぱら、欽ちゃん始め、勝新太郎、堺正章、加山雄三といった芸能界のセンパイの裏話を物まねも交えて盛り上げて、合間にいい歌聴かせる。
昔の話のときに「当時は、まだいろいろとあって・・・」と、お約束の髪の毛ネタに反応してしまい、2列目センターで大笑いしちゃたら「あそこで、一人で笑ってる人、いますね。」といじってくれました。そのせいか、どうか、「笑う時には、一緒じゃなくてもいい。」というネタも披露。

まあ、ものを考えずに楽しく笑えるSHOWでした。

観劇日:2014年8月26日
小屋 :新大久保・グローブ座
木戸銭:7250円

幸せの国ブータン (小ネタ編)

幸せの国ブータン。

写真中心の旅行記では書ききれなかったことも多々あります。
ガイドのソナムさんから聞いたこと、観光とは関係ないけど感じたことなどなど。
以下、オイラが見聞きしたこと、感じたことを記憶のあるうちに書き留めます。(本編との重複あります)

ブータン人は、自然を愛し、仏の訓えにより心穏やかに、身の丈に合った暮らしをしている。
決して裕福でなくとも、寺への寄進は怠らず、今日が満ち足りていればそれでよく、将来の心配もしない。
他国が経済力に興味を持って侵略してこないよう、天然資源の活用や産業の発展もそこそこで止める。
この状態で「幸せですか?」と聞かれれば「はい。」という答えしか返ってこない気がします。

数字等古かったり、聞き間違いがあるかもしれません。例えば、軍隊の規模や言語の数といった数字も、wikipediaの記述と違ってます。ガイドさんが分かり易いストーリーにしたような部分もあるかもしれません。
でも、現地でその点を指摘しても、明確な答えは返ってこなかっただろうと思います。それがブータン。

その点はご留意を。あくまでも「オイラが現地で見聞きしたブータン」ってことでご容赦。

【国土・自然】
〇 国土面積は九州と同じくらいで、8割が森林。北は山岳地帯、南は亜熱帯。
〇 ブータンの宝は森、山、川、文化。
〇 北は中国、南はインドに囲まれる(ネパールには接していない)。
〇 中国側は山岳地帯なので攻め込まれる恐れはない。
〇 山は神聖で、入山も禁止。このため、世界の最高未踏峰はブータンのガンカー・プンスム (7,570 m)である。
〇 これと関連するのか、単にコスト・技術の問題か、山間部を走る道路にトンネルはない。
〇 樹木の伐採は原則禁止。狩猟や川での漁も禁止。(方や自然保護、方や宗教的な理由と思われる)
〇 8月のブータンは雨季。雨は主に夜に降る。(確かに日中は殆ど降られなかった)
〇 1994年にパロ附近で洪水被害。標高5300mにあった氷河湖の決壊が原因。
〇 積雪は20cm程度。タイヤチェーンは使わない。塩カルをまいて除雪。
〇 地震は3,4年に一度あるが、大きな被害はない。。台風は来ない。
〇 温泉が2500m~3500mの地域で湧出。火山ではなく、地中の水が石(何かは不明)と化学反応を起こして熱くなった温泉。
〇 ブータンの国獣はターキン。頭がヤギで体が牛。
〇 ブータンの国鳥はラーベン(ワタリガラス)。4000mほどの高地に棲む。
〇 インドでの捕獲を逃れ、ブータン南部の低地に住みついたベンガルトラが、高度馴化して、高地にも棲息。
〇 トラを保護するため、野生のトラが家畜を殺したら、森林局が飼い主に補償する。

【くらし・文化】
〇 国内に17の言葉があり、通常そのうちのいくつかを話すことができる。
〇 「す」「ず」「つ」「し」という音をよく使う。日本人はうまく発音できるが、インド人には難しい。
〇 ブータン語(ゾンカ語)で「乾杯」は「タシデレ("Tashi Delek!")」。
〇 「トケイ」は「お腹がすいている」、「ワタシハ」は「牛が死にました」、「ミズミズ」は「もう、結構です」。
〇 もともと文字はなく、ネパールの文字を流用している。
〇 17言語での教材製作は実質的に不可能なので、国語(ゾンカ語)以外の学校教育は英語で行っている。
〇 義務教育ではないが、公立学校は授業料無料。
〇 6歳で小学校入学。学制は7-2-4-3。
〇 東部遊牧民で、一つのグループに11人以上子供がいたら、学校(教員)も一緒に移動する。
〇 国技はアーチェリー。140m離れた的を射る。オリンピックでは的が近すぎて活躍できなかった。
〇 ブータン人の弓は狩猟のためのものではなく、身を守るためのもの。
〇 医療費は無料だが、生活保護等はない。最後は、親族を頼るか、農業で食べていける。
〇 土地は個人所有。
〇 生活に困ったら、国王の事務所(?)に申請すると土地を与えられる。1年で家を建て農業を始めなければいけない。
〇 ブータンのラッキーナンバーは奇数。お寺のお供え物も奇数が基本。
〇 空を飛ぶもの、水に棲むものは神の使いなので食べない。
〇 川には水の神様がいるから泳がない。

【ブータン人】
〇 人口70万人。
〇 日本人とブータン人は見た目が似ている。3人に一人はよく似た日本人が思い浮かぶ。
〇 JICAの専門家も着任直後は見分けがつくが、日焼けして民族衣装を着るようになると区別がつかない。
〇 ブータン人は心配しない。どうせ命は短いのだから、今が大切。昨日のことは終わったこと、将来のことはわからないから、それらについてくよくよしたり、不安に思ったりしない。だから貯金もしない。
〇 目がよく、メガネをかけている人を見かけない。周りに緑があり、有機野菜を食べているからだとか。
〇 視力のせいか、性格のせいか、微笑みかけたり、手を振ると、遠くからでも高確率で反応が返ってくる。
〇 徴兵制はないが軍隊(陸軍)はある。4000人規模。殺生が苦手なので強くない。
〇 飲酒は毎日、唐辛子も毎日。ガイドさんは小学生時代、自家製アラを持たされて通学した。
〇 99%は恋愛結婚。4代国王はお祭りで、5代国王はピクニックでお妃様を見初めた。
〇 4代国王の4人のお妃は実の姉妹。5代国王は3人目の妹の子だが、異母兄弟の中で最年長者。
〇 モテるブータン男子の4条件「重いものが持てる、牛や馬の世話ができる、いい着物を着ない、嘘をつかない」
〇 モテるブータン女子の3条件「子供を育てる、機織りをする、手と顔を洗わない」
〇 ブータンは伝統的に男性が女性に婿入りする。
〇 ブータン人の夢は、お寺を作る>仏塔を建てる>マニ車を建てる>お供えをする
〇 生活の訓え。「毎日30分瞑想せよ。」「毎日30分散歩せよ。」「家族と一緒に住め」
〇 小学校も毎日5分、瞑想の時間がある。

【産業】
〇 国民の70%は農家。残り30%は民間企業、公務員。
〇 主要作物は米。7月に田植えをして10月に収穫。そのほか、モモ、ウメ、アスパラや輸出用のリンゴ・ジャガイモ・ミカン・生姜等の果樹、野菜を作っている。南部低地ではマンゴ、バナナを、北部高地ではイチゴも作っている。野菜は100%有機野菜。
〇 ブータンの最大の輸出品は豊富な水力で発電する電力。インドからの借款で水力発電所を建設しており、発電量の8割をインドに輸出。まだまだ発電余力があって、1.8倍~2倍は発電できる。
〇 発電所はあるが、ダムは見当たらなかった。
〇 「輸出している電力を国民が使えないのはおかしい。」との前国王の命令で、全国電化計画実施中。 現在電化率85%。あと2年で100%を目指す。
〇 電気は文化を支え、道路は経済発展を推し進める。(農村電化により、若者が帰農する。)
〇 ブータンの民間企業は小規模。年金もなく給料も安いため、しばしば転職をする。転職は経験として捉えられ、マイナスのイメージはない。最後の選択肢は農業。
〇 コメは1kg150円程度。
〇 マツタケがとれるが、ブータン人は炒めちゃう。
〇 国産のビール、ウィスキーも南部のインド国境付近で製造。
〇 東ブータンは手織り、西ブータンは機械織り。それぞれの地域ごとに、特徴的な柄がある。
〇 手間がかかる手織りは、絹、毛、綿等の素材では値段はあまり変わらず、大きさ、柄のち密さで値段が変わる。
〇 染料も自然のものを使い、合成染料は使わない。

【仏教】
〇 ブータンは政治と宗教が未分化。(政教分離はしているが・・・)
〇 ブータンのお寺は、どこからも拝めるように山の上に作られる。
〇 チョルテン(仏塔)は星占いで、建立場所が決められ、道路の真ん中にあることも。(丁度車は左側通行(右回り)なので、お参りしているのと同じ感覚。)
〇 火葬場はお寺の近くに作る。強欲な人は火葬しても魂が重くてそこにとどまるため、お寺の近くで浄化されるのを待つ。
〇 ゾンの周辺に町ができ、見晴らし、風通しが悪くなると、政府によって強制移転。
〇 寺では五体投地を行い、「自分」「家族」「一切衆生」 の幸せを願う。決して自分だけのことを祈らない。
〇 火曜日はお寺参りの日。街でお酒も買えない。
〇 お経を覚えられない人のための万能おまじない「オマニペメフン」。これだけを唱えておけばOK。
〇 お経が書かれた布(ルンタ)をいろいろなところに奉納。赤い布は太陽を、緑は森を、黄色は土を、白は水を、青は空を表わしている。風になびくたびに1回お経を唱えたご利益。
〇 経典が収められた円筒状のマニ車を回すと、お経を唱えたのと同じご利益。右手を使って、右回りに回す。
〇 白い経文旗を死後四十九日に立てる。かつては108本並べたが、樹木伐採を防ぐため、大統領の命令で5本又は7本にすることとされた。(どうしても本数をそろえたいときは竹を使う。)
〇 お供えは、水、バターランプ、線香、お菓子、トゥルマ(きれいな飾り)。
〇 寺に供えるのは造花。自然の花は自然にあるのが一番美しいので、敢えて殺さない。お寺のために栽培した花ならOK。
〇 プナカゾンはブータンで一番きれいで二番目に大きい。
〇 プナカゾンの仏間には3体の像。お釈迦様、仏教を伝えたお坊さん、国を統一した人。
〇 ティンプーの巨大な大仏像は、ある高僧が浄財を募って建立中。仏像の他、学寮等は民間資金。土地は政府が無償で提供し、アクセス道路も政府が整備中。

【お坊さん】
〇 僧侶になるには10歳で出家し、寺に併設された学寮で、経典のみならず、仏教画や仏像の製作、踊り、楽器等幅広く勉強。
〇 僧侶の大学卒業後、崖の上の小屋で外界との接触を断ち、1年間の瞑想。
〇 瞑想の間、家族(又は、頼まれた人)が食料等を運ぶが会うことはない。
〇 瞑想後、街に戻っても、既に俗世に興味がなくなっている。(この時点で25歳)
〇 修行途中で離脱してしまった人に対して、周囲が後ろ指を指すことはないが、自分には後悔が残る。
〇 僧侶は選挙はしない。世俗とは違う次元の存在だから。
〇 日本の戦国時代の頃、高僧が悪霊を封じ込め、犬に変身させた。
〇 魂は、昆虫→犬→人間→昆虫・・・と生まれ変わる。
〇 お坊さんは、人間から人間に直接生まれ変わる。世の中が幸福になれば生まれ変わりはなくなる。(普通の生まれ変わりの手順を踏むということか。)
〇 高僧の生まれ変わりは4歳の時に分かる。我が子が出生前の様子を語り始めると、親は僧侶に相談、僧侶はいろいろと質問して判定。生まれ変わりとなると、そのまま仏門に入る。

【その他】
〇 インドのルピーがそのまま流通している。1ルピー=1ヌルタムで固定。
〇 工事現場で働く人はインド人が多い。
〇 県境に入国管理局の検問所がある。インド人労働者が、工事後もブータンに残るのを防ぐためらしい。
〇 インド人労働者を雇用する際は、ブータン人の雇用主が国境まで出向いて、国内に連れてくる。(我々観光客も似たようなものだが。)
〇 ヨーロッパ人は鳥を見に来る、日本人は花を見に来る。アメリカ人はトレッキングをしにくる。
〇 トラックはインド製、乗用車はインド、日本(スズキが多い)、韓国のものが多い。クルマは左側通行。
〇 ブータンには世界遺産はない。世界遺産に多数の観光客が来ることも望まないし、周辺の整備を求められることも国策に合わない。

(ブータン旅行記に戻る。)

2014.08.26

本日の手作り弁当(8/26)

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豚肉・ナス・ピーマン・青唐辛子の中華風炒め、ベーコンの卵焼き、ミニトマト、みょうがの甘酢漬け、やまちゃんふりかけ。

7月初め以来、ほぼ2か月ぶりの弁当作りである。食中毒の危険というよりは、野菜の値段の高さにインセンティブが働かなかったというのが正直なところ。
この週末は、一ノ関に行き、厳美渓の道の駅で産直野菜を仕込んできたので久しぶりに弁当。
ちなみに、ナス(中くらい6本)120円、ピーマン(小ぶり10個くらい)80円、青唐辛子(10本くらい)100円、ミニトマト(両掌で受けるくらい)100円、みょうが(10本ほど)100円。安いよねぇ。

ブータンで、青唐辛子を香辛料ではなく野菜として使う料理を食べてはきたのだけど、昼休みに職場で涙を流している図もどうかと思うので、いつもどおりおとなしく使う。

ナス3本は細切りにして水にさらす、ピーマンも3個細切り、青唐辛子は2本を種ごと輪切りにしてみました。
久しぶりに中華鍋を使って、じっくりと。いつもなら何も考えずに味噌炒めにするところなんだけど、素材(特に、青唐辛子)の味を生かすために、シンプルに塩味、ちょこっと味覇。あまりにも野菜が多かったので、いつもと逆に野菜から炒めて、肉を後から入れてみたら、肉がふっくらとしてgoodでした。で、肝心の青唐辛子は、丁度いい具合にピリッと辛かったですわ。

卵焼きは、これまたベーコンでシンプルに作ったけど、胡椒くらいふっておいてもよかったか。

ミニトマト。彩のつもりで入れたけど、塩なんぞふらなくてもおいしいですわ。

みょうが、千切りにして、一晩甘酢に漬けておきました。これまたおいしゅうございました。

今から思うと仙台時代は地場・近郊の野菜がおいしくて、安くて、幸せでしたわ。

2014.08.22

幸せの国ブータン(その7・終)

タクツァン僧院とキチュ・ラカンを終え、宿に戻ると、番犬君がお出迎え。

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これ、野良犬と思えないくらい可愛い。

【民族舞踊鑑賞~帰国】

汗を流して、さっぱりとして、ホールで民族舞踊の鑑賞。
何と、飲み放題! 太っ腹!!

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1時間ほどのプログラムは、各地方のいろいろな踊り。多少の解説はガイドさんがやってくれるのだけど、微妙なところまでは判らないのが惜しい。

ツェチュの仮面の踊りやら、飛んだり、跳ねたり、歌ったり。これまた、スリ・ランカのキャンディアン・ダンスを少しばかり思い出させましたな。

女性の踊り子さんにメガネっこが2人もいてびっくり。この旅でメガネをかけているブータン人って4人しかみなかったのに、うち二人が踊り子さん。踊りに必要か??

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鹿の仮面の踊り。飛んで、回って。息切れしてた(笑)

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天女の踊りなのに、踊ってるのは男性・・・。

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余りにも素朴で、余りにも楽しくて・・・。最後は客も一緒に輪になって、お別れのダンス。

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この弦楽器ドゥラーニェンdranyenは珍しい7弦。このほか、提琴ヤンチェンと打楽器が伴奏。

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最後の晩御飯。
ティンプーで買ってきた民族音楽のCDを流してもらったり、ビールはさんざん飲んだので、ウィスキーにしたり。

初めて、魚と分かる魚が出てきた(一回、切り身らしきものがカレーに入ってたことがあった?)

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「空を飛ぶ鳥と、川を泳ぐ魚は、仏様の使いなので、ブータンでは食べない」ってガイドさんが言ってたので、こっそり「おかしいじゃん??」って訊いたら、「あの魚はルイといって、池でネパール系の人が飼ってます。」だって・・・。

ツアー最終日に誕生日を迎えるお客さんがいて、サプライズでケーキが出てきました。
塩キャラメルみたいな味で美味しかった。

ゆっくり食べてたら、おなか一杯。パッキングする気が起きなくて、一旦、仮眠。日付が変わるくらいから、ゴソゴソと。

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最後の晩は雨空で、結局一度も星を見ることはなかったのでした・・・。

ブータン最終日、8月15日。あ、終戦記念日だった・・・。
モーニングコール7時、荷物出し8時、出発8時半。

起きたら番犬君の定位置に、お札が500ヌルタムほどむき出しで落ちていた。
おいらのヌルタムはもうほとんどないので、誰かの落とし物か、番犬君の贈り物。フロントに届けて、朝ごはん。

ああ、これが最後かぁ。スープ代わりにおかゆが出てきて、卵はそれぞれが焼き方を頼める。結構やるじゃん、このホテル。

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全てを終わらせて、前国王様にさようなら。

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雨のパロの空港で2時間ほど時間つぶし。wi-fiが入ったり、入らなかったり。
例の魔除けを売ってたけど、機内持ち込みで買う勇気はなかった。そもそも、いくらぐらいだったんだろう・・・。

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視界不良で、定刻よりも1時間遅れて出発。インド経由でバンコクへ。

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夢のような1週間でした。
ブータンって、何もないけど、何も知らないから幸せなんだと思ってた。
ある意味当たってるけど、きっと、本当に今に満足してるんだな・・・って思った。
前国王が始めた民主化が、若き新国王のかじ取りでどちらに向かうのか、しばらく目が離せない。

(旅行記は終わり。「ブータン小ネタ編」に続く

幸せの国ブータン(その6)

【タクツァン僧院:8月14日】
ブータン5日め。ツアー申込してから、パソコンの壁紙にもなっていたタクツァン僧院参詣で。
ただのお寺参りじゃない。標高3000mを超える山道を片道2時間半歩いて登るのだ。

ツアー仲間も最初からこの日のことで持ちきり。高山病は大丈夫か、自分はどうしよう、途中で待ってる・・・・等。
一度登った人が富士山と比べて、シギリア・ロックと比べて・・・と教えてくれるのだが、それぞれ気にしているジャンルが違う(空気が薄い、坂が急、高いところが苦手・・・)のでかみ合わない、かみ合わない。

おいらは、少々大げさすぎる装備にしました。六甲縦走でも使ったトレランの靴、同じくストック、リュックの中には薄めに作ったスポーツドリンクを1リットルとカロリーブロック、着替え、レインウェア、笠・・・、そして、太陽光発電のできる充電池(笑)

いつも革靴でさっそうと決めてるガイドさんも、この日は運動靴。
夜来の雨もあがり、足元は多少ゆるいけど、曇り空で、登りには良好なコンディション。

とはいっても、2500mくらいから700m以上上がっていくのだから、そこはそれなりのペースってものがあろうもの。8人の体力が違うので、まあ大変っちゃあ、大変。

登山口には土産物屋さんのほか「レンタル杖」(1回50ヌルタム)のお店が並ぶ。

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馬の背に揺られて登ることもできるそうで、既に客を送ってきた空の馬が降りてきた。下りは危険なので客を乗せないのだそうだ。ちなみに、上まで行けない(下まで降りてこれない)人のために、登山道の手前にチョルテンがあって、そこにお参りすれば、上まで行ったのと同じ功徳が詰めるのだそうな。マニ車といい、どこまで合理的なんだ・・・。

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まあ、休み休み、馬の落とし物をよけながらのんびりしたペースで上がっていく。
途中で、何度も写真タイム。それこそ、角をひとつ曲がると新たな写真ポイントが出てくる感じ。

1時間20分ほどで第一展望台到着。予定通りの快調なペース。ここは最後のトイレ。コーヒー、紅茶の振る舞いもあり、20分ほど休憩。
全員が次の展望台まで行くことになる。おいらは秘密兵器の写真を何枚か。

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リフレッシュして再び、登り始める。
何頭もの馬に追い抜かれる。みな、タイからの観光客で、ブータン人はもちろん、日本人も誰一人乗っていない。この辺りは、国民性なのだろうか?

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ここからは絶景の連続。第2展望台まで1時間少々。
ここからだと僧院を下に見る感じになる。添乗員さんとツーショット。

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ここで、ひとりお見送りとなり、7名で僧院を目指す。せっかく登ってきたのに階段を下りるのは心が折れる・・・、と眼前に素晴らしい滝。一気にリフレッシュ!

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再び階段を上がり、登り始めから3時間余り、ようやく目指す僧院に到着。
高僧が、トラの背中に乗って飛んできたという伝説があるこのタクツァン僧院(タクツァンは「トラの巣」という意味)。
もちろん、中は撮影禁止で、カメラ、スマホは入り口で預けなければならない。

中でガイドさんの説明を聞いていると、お坊さんが聖水を下さる。ウコンを溶かした水。手に受けるのだが、衛生上、口には含むな、とは言われていたが、旅もこの辺りになると、一口ペロリ、そして、頭から全身にふりかける。
そして、お供物のお下がりを頂くのだが、これが普通の袋菓子だったりするのが、何となくユーモラス。

新たに壁紙になった、この写真が、今回気に入りの1枚。

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第2展望台で待機していたメンバーと合流し、第1展望台まで降りてきてようやく昼食。
さすがにアルコールはおいていないが、温かい紅茶がおいしい。

バンコクからのドルゥク・エアで隣になった、大阪からの一人旅のおねーさんと再会。キラに身を包み、現地の人にすっかり溶け込んでいました。

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食事中に降り始めた雨が強くなってきたのでゴア合羽を着て下山。ここからは40分ほどで麓に到着。雨で滑りやすくなっており、ストックが役にたった。

いやぁ、やはり一大イベントでしたわ。
申訳ないけど、後はおまけみたいなもの・・・と思ってたら、あにはからんや。
最後の観光、ブータン最古の寺(奈良時代くらいらしい)キチュ・ラカン参詣が待っていた。正面の樹はみかんなのだが、一年中実がなるのだそうな。不思議。

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そして、このお寺で一番偉いお坊様から、特別に法要をしてもらいました。お経の唱え方が、青葉神社の宮司さんが御霊を移す時みたいで、どこか通じるものがあるのかなと思った。
法要の後、白い布と携帯用のマニ車を頂いた。これで、おいらも毎日お経を唱えられる。

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このお寺の裏には火葬場もあった。霊が成仏できずにウロウロしたとき、お寺の近くならお坊さんがいろいろと手立てができるから・・・ってことだそうな。ちなみに、ブータンにはお墓はなく、遺灰は川に散骨するそうな。

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これで、今回のツアーの観光は総て終了。

(その7・終)に続く。

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幸せの国ブータン (その5)

名産のマツタケが夕食に出てきたが、細く刻んで、油で炒めて・・・。見た目はマイタケのソテー。
かすかにマツタケの香りはするし、美味しくないわけじゃないのですがね。

名物と言えば、ぜんまいだかワラビだか、山菜を、これまたチーズと一緒に炒めたものが度々出てきたが、こいつがビールに合うのね。あく抜きの必要もない、って言ってたけど、あく抜きしてないのにえぐみもなくて、素晴らしいですわ。

【ティンプー~パロ:8月13日】
ブータン4日目、観光も後半戦。午後はパロのゾン見学が入っていたのに、半袖、サンダルで、長袖と靴をスーツケースに入れたまま出発してしまった・・・。

パロまでは、来るときにも通った、比較的快適な道路。もう見飽きたはずの棚田だが、何度見てもいいものはいい。
この区間もそうだが、車内でガイドがとぎれるといろいろ質問する。
ガイドさんはひとつひとつ丁寧に応えてくれる(ただし、たびたび「これは本に書いてあることではなくて、私が感じていることです。」という注釈はつく。)。

「どうしたらお坊さんになれるの? お坊さんになりたいの?」
-お坊さんは結婚しないから、親を継ぐ、というのはない。10歳(早い子だと6歳)で、自分はお坊さんになりたい、と決めて、お寺(に併設されている学校)に入り、お経、踊り、仏像彫刻・絵画など、幅広く、勉強する。卒業すると瞑想にはいる。1年間、3年間、5年間、瞑想して、お坊さんになる。お坊さんは尊敬されている。

「ブータンの人は貯金するの? 宝くじってある?」
- ブータン人は、今が大事。明日はどうなるかわからない。お金を貯めても死んだら(虫に生まれ変わってしまうので)、あの世に持っていけないし、現世で強欲にすると天国にもいけない。だから貯金はしない。宝くじもない。

「ブータン人の結婚は?」
-ブータン人の99%は恋愛結婚。今の国王もそうだけど、ピクニックに行って、相手を見つけることが多い。
ピクニックとは言っても、お弁当を持って、少し離れたお寺にお参りに行く。
昔は、ツェチェ(お祭り)のときに仲良くなることが多かった。日本もそうでしょ? 4代国王はツェチェのときに見初めて、姉妹4人と結婚した。

「ブータン人って、幸せなの?」
-ブータンの国には4つの原則がある。国家が良く管理すること、自然環境を保護すること、宗教を大切にすること、経済を発展させること。これらは、総てを満たさなければいけない。自動車工場を作って経済を発展させようとしても、クルマが増えて自然環境が破壊されてしまうようでは、工場建設は許可されない。(「で、幸せは??」という再質問はできる雰囲気にはなかった。)

などなど・・・。8時半ティンプー発、1時間15分ほどで最初の見学地、「西岡メモリアル博物館」へ。
丁度50年前、当時のODA「コロンボプラン」でブータンに派遣され農業指導を行った西岡京治さんを記念した博物館。この6月に農業機械化センターの一角にできたばかり。

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大阪の毎日放送が作ったらしい、昭和43年ごろのテレビ番組を16ミリフィルムにコピーしたものを映写してくれた。まあ、50年前、相当苦労して、まずは大根から始めたらしい。

大根、アスパラガスと、ブータンの気候に合うように品種改良した作物40種類。機械化を進めたり苦労したみたい。
2年のはずが、延長に次ぐ延長で結局28年、最後は民間人として最高の称号「ダショー」ってのをもらったそうな。日本でいえば公爵みたいなものかなぁ。59歳で、ブータンで亡くなったそうな。

つい最近もNHKが彼のドキュメンタリーを作っていたそうだが、最後の最後で未亡人からダメが出て、お蔵入りしたとかしないとか。

ここから、少し離れた小高い丘の種苗センター脇にある「西岡チョルテン」へ。

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日本でもあまり知られていない人を、ブータンの人がずっと覚えてくれているって、嬉しいなぁ。
ここからは、彼が指導した、田圃やリンゴ畑が一望できる。

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この後、パロ空港を横目で見ながら、民家訪問。

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こっちの農村で気付くのは、とにかく家がでかいってこと。
国民の7割が農業で暮らしているそうだが、その人たちはみんなこんなに大きな家に住んでれば幸せだろうな。

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実際には1階には牛を飼い、また、最上階は壁が無く、風通し良くできており、穀物の乾燥ほか、物置代わり。
しかも大家族制だから、必ずしも一人あたりの床面積は広くないかもしれない。

別棟になっている、牛舎と石焼風呂を覗いて、弓矢体験(オイラの放った矢はトマト栽培のビニールハウスに突き刺さった・・・)してから、ようやく建物の中へ。昔のお城みたいに階段は急。

板の間の居間に通されて、この家族のおかあさんからバター茶がふるまわれる。
そういや、名物らしいとものの本にはあるが初めて飲んだ。塩味でいける。

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その後、これまた自家製のアラという酒がふるまわれる。米にイーストを入れて醗酵させながら数か月置き、蒸留したお酒。17~8%とのこと。蒸留してから保存するのではなく、醗酵期間を長く置くのはなぜだろう。菌が生きている方が傷まないということか。

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竹の筒から頂いたその味は少々酸味のあるマオタイに似た感じかな。
奥さんが妊娠すると、この酒を仕込み、出産したら蒸留して、祝いの客にふるまう習慣があるとか。

家の中を見せてもらったが、とにかく仏間が立派。節目節目には親戚が集まり、お坊さんを読んでお祀りするので、広くなければいけないそうな。

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午前中、盛りだくさん。すきっ腹にアラのおかわりまでさせられて、ようやく昼ごはん。
西岡さんがこの国に広めた日本風の大根と、豚の乾し肉を煮込んだパクシャパを頂く。

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皿の右上がパクシャパ。まあ、想像通りの味。悪くない。

午後のゾン見学に備え、バスからスーツケースを下して、長袖に靴にかえる。
ホテルの前には怪しげな草が生えていた。こういうのが自生しているのだそうだが、そもそもタバコも喫わないブータンの人には興味がないんだろうなぁ。

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午後の一つ目は国立博物館。
パロゾンの上にある見張り台を博物館に利用している。円形の建物は珍しい。

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ブータン唯一の国立博物館ということで、期待もしたが、ほとんど記憶にない。午前中のアラ2杯が効いているとも思えない。
ガイドさんが熱心に説明していたのは、お祭りの仮面舞踏の仮面、熱帯低地から高地までに生息するいろいろな動物のはく製・・・くらいかなぁ。後は何があったのだろう。

この建物は、もともと見張り台だっただけに、ここから見下ろすパロ・ゾンとパロの町の景色は素晴らしかった。

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パロゾンは映画「リトルブッダ」のロケ地にもなったそうです。とはいっても、その映画を観ていないので何とも言えないのですがね。ここにも「4人友達」ほか、天国と地獄の絵とか、きれいな絵があった。3つ尋ねたゾンの中では、ここが一番落ち着いてるかな。

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ゾン内の寺院の入口で紐を売っている若いお坊さん、デスクの下で何やらゴソゴソ。靴を履くついでに裏に回ると、携帯電話をいじってた・・・。うーん、大丈夫か? きっと、ありがたいお経を見ていたんだろうな。

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プナカのゾンの橋もよかったが、パロ・ゾンの橋も趣きがあって、いい感じ。

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丁度下校時刻だったようで、子供たちが多数いて、カメラを指さして「いい?」と尋ねると、お澄ましする子、ポーズをとる子、大はしゃぎする子・・・。

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この7歳の女の子とは、英語で意思疎通が可能。大したものだよなぁ。

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ポラロイドだったら、写真を渡せるんだけどねぇ・・・。(20数年前、スリ・ランカでそれをやって、写真争奪の大騒ぎになったことがある。)

ってことで、パロの観光も終わり、街で自由時間。ようやく、ウィスキーとラム酒をゲット(2本で260ヌルタム、安っ!)、Tシャツやら何やらをゲットして宿へ。

この宿がリゾート感たっぷり。川が見渡せるのはこれまでの2つのホテルと一緒だけど、部屋の前のバルコニーに椅子が置かれていて、しかもオイラの部屋は番犬付き(笑)

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2頭とも、左の耳が不自然に切れているのは、野良犬に狂犬病の予防接種をしたしるしなのだそうな。(切れてない犬は、予防接種をした飼い犬か、してない野良犬・・・。判らないじゃん。)

何故かおいらの部屋の前に、この野良犬が陣取ってる。扉を開けると覗きこみはするけど、入ってくる様子はなし、玄関でゴロゴロしている。可愛い。

で、この日の最後のイベントは石焼風呂(ドツォ)。希望者は25ドル(or1200ヌルタム)。もちろん希望。
農家でも見たとおり、木の浴槽が穴の開いた板で仕切られており、水を張った後、2時間以上薪で焼いた石を放り込んでお湯を温めるというもの。(男鹿の「石焼桶鍋」のお風呂版)

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鉄の風呂釜がいらないので、ブータンにはぴったり。西岡さんの映画でも、近所の河原に木の桶を持ち出して、露天で入浴しているシーンがあった。

熱くなったら水を入れ、ぬるくなったら石を追加してもらう(そのため、お兄さんは外で薪に石をくべたまま待機。)

ユーカリらしき葉っぱを散らして、つかったり、涼んだりを繰り返し、芯からポカポカ。

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(写真用に熱してない石を持たせてもらった。お見苦しい点はご容赦。撮影はお兄さん。)

かくして、今回のツアーのメインのタクツァン僧院を翌日に控えて、パワー満点で眠りについたとさ。

(その6に続く)

幸せの国ブータン (その4)

夕食をとってから、特段のイベントもなし。
ティンプーは連泊なので汗をかいたシャツ等、軽く水洗いして、バスルームに干す。
ちなみに、ここも、前日の宿も、バスルームには各部屋ごとに巨大な電気温水器が設置されていて、それでお湯を作っているようであり、お部屋によっては「お湯が出なかった。」っていうめぐりあわせの人もいたようである。
幸い、この旅を通して、バスルームに関してはトラブルなしでした>ぢぶん

部屋のテレビはインドからのケーブルテレビ。インド映画やインドならではのスポーツ番組(クリケットにカバディ!)、そして、なぜかドラえもんにNHKの国際放送まで見られるが・・・、ブータンの番組がないじゃん。

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ブータン国営放送「BBS」の放送は18時から22時(23時?)の限定らしい。
ニュースは英語で、街に人のインタビューなどで、ブータンの現地語(ゾンカ語?)を話す人がいると、英語の通訳が入ってました。
ブータンは県ごとに言葉が違い、また、文字が無かった(ゾンカ語の文字は、チベットの文字を流用)こともあって、新たにたくさんの教材を作ることは現実的ではなかったため、学校教育は英語を取り入れているそうな。つまり、英語が国民の共通語という訳(もちろん、国語の時間はあるけど)。

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ニュース番組やら、健康やら、政治っぽい話もやってた。

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健康省からの政府広報で、やたらとJapaneseという言葉が聞こえてきた。
どうやら、日本脳炎に対する注意喚起のようだった。致死率30~40%なのに、蚊も含めて殺生をしないのだから、防ぎようがない。この広報では「蚊帳」の利用を勧めていた。

ちなみに、各ホテルとも無料のwi-fiサービスはあった。ティンプーで泊ったこのホテルは、ロビーと客室で別の電波が飛んでいて、ロビーはパスワードなし、客室はパスワードあり。ところが、パスワードなしのロビーの方がサクサク動く。明け方、目が覚めてしまい、ネットのチェック・・・、となると、誰もいない薄暗いロビーに降りていくのが一番。

【ティンプー観光:12日】
ブータン3日目。早朝目が覚めた。繁華街までは川を渡って10分ほどだろうが、野良犬がウロウロしているし、この日は一日観光で歩き回るので体力温存。

この日の観光は民族衣装も可ということだったが、ツアーで希望者はオイラだけ。
確かに暑そうだもんねぇ。まあ、こういうのは何事も経験だから。

男性の民族衣装は「ゴ」といいます(女性は「キラ」)。
ホテルのおにいちゃんが、苦労して、それでも5分ほどで着付け。慣れてくると、一人でものの2分もあれば着られるとか。
こっちの大人は、ひざ下までのハイソックスに革靴ってのが普通の恰好なんだけど、さすがにそんなもの持ってきてないので、サンダル姿。比べるとちょっと間抜けだが、仕方がない。

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のんびり9時出発でティンプー市内観光。
まずは、ジュンシ製紙工房。島根の和紙技術の指導を受けたんだそうな。経文を書く紙は輸入品ではなく国産品を使うのが礼儀だそうな。

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続いて、メモリアル・チョルテン。3代国王をたたえるために作られたチョルテン(仏塔)。
火曜日は特別の日らしく、大勢のブータン人がお参りに来てました。
一心不乱に五体投地する人、手持ちのマニ車を回しながら数珠を繰る人、立ち話に興じる人。様々。

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国立の技芸学校の見学。
高校を出てから入り、3年間みっちり。
彫刻、仏画、刺繍、織物、塑像のクラスあり。ここを卒業すると、先生への道、或いは、独立の道が開けるそうです。そのせいか、関係ないかはわからないけど、皆一生懸命。

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昼食後、残るメンバーも民族衣装に着替え、クェンセルポダンの大仏をお参り。
ティンプーのホテルからも見えていた高さ51mの大仏。さる高僧が、寄付を募って製作中とかで、大仏は出来上がっているようだったけど、周辺の整備はまだ。さらにお坊さんの学校なども作るそうだから、一体いつになるやら。

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政府から無償で?貸し与えられたという土地からは、ティンプーの町が一望できるのだが、我が心のふるさと・郡上八幡に何となく似てましたわ。

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その後、中央郵便局にて、オリジナル切手づくり。
その場で写真を撮って、本物の切手にしてくれるのだ。それで、他のメンバーもお着替えな訳。

おいらたちはツアーに費用が含まれていたが、20ヌルタム切手8枚、10ヌルタム切手4枚で、額面通り200ヌルタムでできるとか。日本までハガキを航空便で送ると20ヌルタムとのことだから、追加費用出してでももう少したくさん作って、いろんな人に送りたかったところですな。このあたりが、パッケージツアーの自由度のなさ。

日本もオリジナル切手が作れるけど、3週間かかるし、手数料がかかる。ブータンにできることが、日本でできないとは思いにくい。2020年の東京五輪に向けて、プリクラやセルフの証明書スタジオみたいにやれればいいのに。

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切手を作り終わって、ティンプーの街なか、自由行動。
おいらは国産のウィスキーとラム酒を買いたくて、地元のスーパーに行ったのだけど、何とこの日は「アルコールは売らないよ」の日でした。
スリランカでも満月の日(ポーヤ)はアルコールご法度だったけど、ブータンじゃ火曜日かぁ・・・。そんなの、どこにも書いて無いじゃん。新しい運動??

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仕方がないので、近くのインド軍の駐屯地でバグパイプを持った兵隊さんのマーチの練習を観てました。

で、ホテルに戻って、着替えをして、タシチョ・ゾン見学。民族衣装だと、例の肩掛けをしなきゃいけないし、サンダルじゃだめなので、長そで、長ズボン、靴に着替えて。

ティンプーのゾンには国王の執務室と大僧正の部屋があり、執務時間が終わった17:30以降しか観光できないのです。
ゾンの近くには、樹に囲まれた国王の宮殿(国王は宮殿から執務室まで歩いて通うのだそうな。宮殿の写真撮影は禁止)や国会議事堂もある。

例によって、仏間は撮影禁止だけど、それはそれは立派なものでした。
ガイドさんは、お寺に行くたびに何がしかお供え(お賽銭)を挙げていました。見に行くのではなくて、お参りに行くのですな。

ここで、サプライズ、7月には日本にも来られた首相が執務を終えて歩いてこられた・・・。
オイラたちを見つけると、握手してくれて、一緒に写真に納まって下さった。おいら、誕生日が一緒なんだよなぁ。

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日本で、官邸から総理が歩いて出てくることはまずないし、ましてや、肩を組んで写真・・・なんてあり得ない。
幸せ。
(その5に続く)

2014.08.21

幸せの国ブータン (その3)

【ウィンディ・フォダン~プナカ~ティンプー:8月11日】
ブータン入国2日目、この日のメインはプナカ観光である。

時差ボケもあって、早く目が覚めたので、朝食前に1時間ほどお散歩。
周囲には何もない・・・。牛や犬も散歩中。ちなみに、そこらじゅうで見る牛は飼い主がいて放し飼いにしているが、犬は殆どが野良犬だとか。ただ、人にいじめられることがないので、おっとりしたもの。犬同士はともかく、人間に攻撃的な犬は見なかった。

帰りがけは登校時間に当たっていたようで、ひとり、ふたりと、制服にリュック、右手にはお弁当のはいったバスケットを持って、歩いていく姿。笑いかけると戸惑いがちに笑い返してくれる。

散歩の途中で、砂防ダムっぽいものを見つけて、プチ興奮。

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軽くかいた汗を流し朝食。基本的に食事は朝昼晩、いずれもビュッフェ。朝はトースト、昼、夜は赤米中心のお米。料理はスパイスの効いた煮物やら炒め物。食材は野菜が中心で、肉は鶏肉がメイン、豚、牛は干し肉を戻したものがたまに出る程度。朝ごはんはバターを塗ったトーストがうまかった。パンもモチモチというよりはサクサク感があって、おいらは好きでしたね。

この日は早めにスタートできたので、予定に入っていないウィンディ・フォダンのゾンを見学。
「ゾン」とは、政治の中心(=役所、裁判所等)と宗教の中心(=お寺、仏教学校等)が1カ所にまとまった場所。
とはいっても、政教分離されているので、それぞれ独立した建物で、別々の人が働いたり学んだりしているのですわ。

残念ながらここのゾンは数年前に火災にあったそうで、今は「跡」として城壁のようなものを見るだけ。

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逆に、ここからの景色は抜群。ブータンでは、お寺は見晴らしのいいところに建てられるそうな。遠くからでも眺めてお参りできるように・・・という配慮だという。

役所とお寺が揃っているので、近隣に住めば便利。ここも周辺に家が増えてしまって「見晴らしが悪くなった(悪い空気がたまるようになった)から、移転するように」との命令が出て、強制集団移転をしたんだそうな。凄い国だ。

川と山に挟まれたわずかな農地。こんな眺望が残ってました。(リンチェンガンの棚田)

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傍らに小学校があり、すでに授業が始まっている時間。オイラたちを見つけて、大騒ぎ。3年生くらいだろうか。ちゃんと英語も話せるんですわ。写真を撮ってくれとうるさい、うるさい。

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その後、プナカへ、向かう。すれ違うほぼ全てのトラックのヘッドライトの上に目が書かれている。

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ブータンの流行かと思ったら、トラックの輸入先・インドの習慣だそうな。
こんな恐ろしげなトラックも、牛には勝てません。
インドでもよく目にする光景だけど、インドは牛限定、ブータンはおよそ生き物全てが優先です。

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そうこうしながら、プナカのゾンに到着。

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ゾンに入る際には、半袖、半ズボン、サンダルはもってのほかだし、帽子もダメ、雨が降っても傘もダメ。ブータン人は民族衣装でなければだめで、しかも、男性も女性も特別の布をまとわなければならないのだ。
ガイドのソナムさんも白い肩掛け(カムニ。身分等によって色が違うらしい。)を、様式に従って巻き付けてました。

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ポ・チュ(男の川)とモ・チュ(女の川)の合流点に作られたプナカゾン。
ガイドのソナムさんによれば、ブータンで2番目に大きく、一番美しいゾンだとのこと。ティンプーよりも低地で、機構が温暖なので、40年?ほど前までは冬の首都だったところです。

綺麗な橋(錦帯橋と同じに見える構造。「肘木橋」であってるかな?)を渡っていく。

1600年代の建立当初は城塞の機能を強く持っていたから、守りは完璧に見えるが、官兵衛が相手なら、水攻めにされそうだ。実際、1994年の洪水では、プナカゾンも浸水、孤立したそうな。
(ちなみに、この洪水は台風など雨のせいではなく、高地の氷河湖が決壊して発生した洪水。地球温暖化が進む中、危険度は高まっている。)

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中もきれいです。壁には、様々な宗教的、道徳的な絵が描かれている。

奥の金色に光る円筒形のものは「マニ車」。モンゴルにもあったが、中にお経が安置されていて、これを回すとお経を読んだのと同じご利益があるとか。お寺だけでなく、村の入り口や、商店、一般家庭にまでおかれている。
ちなみに、このマニ車は右手で上から見て時計回りになるように回す。お寺を参るときも、同じ向きに回る。
ついでに言うと、クルマは日本と同じ左側通行なので、ラウンドアバウトを回るときも同じ方向になる。

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この、ブレーメンの音楽隊みたいな絵は、ブータンではよく目にする。ソナムさんによれば「4人友達」という絵だそうな。
一番上の鳥が運んできた種を、2番目のウサギが掘った穴に植え、3番目のサルが見張りをし、4番目の象が水をやる・・・。4人が力を合わせて収穫するのだそうな。
いい話じゃまいか。

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基本的に、お寺の中は撮影禁止なので、外観だけの撮影。
役所側もお寺側も似たような作りで、「ゾン平面図」なんてものもないので分かりにくいけど、宗教施設は建物に赤い色で帯状に彩色されているので、それで区別ができるそうな。

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プナカゾンをあとにして、チミラカンに向かう。
ラカンは「寺」「仏間」の意味で、チは「犬」、ミは「いない」。つまり「犬のいないお寺」である。
このお寺を建立した高僧ドゥクパ・クンレが悪霊を犬の姿にして、封じ込めたとかなんとか。それなのに、周りは野良犬だらけ。

いや、実は突っ込みどころはそこじゃないんですわ。
参道の両脇には何やら怪しげなものが・・・。

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そう、男根ですよ、立派な。木彫りだけじゃありませんぜ、書いちゃってます、建物に。(この写真はティンプー)

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どうも、件の高僧はハチャメチャな人だったようで、自分の男根で娘たちを悟りに導いたのだとか。
まあ、相手がすがってくるのをいいことにウフフ・・・だったのでしょう。
が、そこはそんじょそこらのエセ宗教家と違うのは、ちゃんとご利益があったのでしょうな。
ってことで、ポーと呼ばれる男根は魔除けや子宝のお守りとなったのですわ。(あ、プナカゾンの男の川が「ポ・チュ」だった・・・)

ここのお寺にお参りすると、鉄でできた立派な男根様で頭を撫でてもらえます。
オイラ的には、何のご利益があったのだろう・・・・。

そして、この後、再び3150mの峠を越えて、ティンプーのお宿へと向かったのでありました。
ティンプーの宿は、繁華街(っても、日本の地方都市以下ですが)と川を挟んで反対側。これまた、周りには何もないところでした。

(その4に続く)

幸せの国ブータン (その2)

なかなかブータンにたどり着かない。それは、今回の旅を象徴しているのです。

2014年8月10日(日)。成田を発って2日目。
スワンナプーム空港、ブータン国営航空のドゥルク・エア。かなり端っこから、タラップを登って搭乗。

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(ドゥルクは雷龍の意味。そもそも、「ブータン」は外国から呼ぶ呼び方地元では「ドゥルク・ユル」(雷龍の国)と呼ぶ)
龍の模様と国旗の色が垂直尾翼に使われている。

さすがに、民族衣装に身を包んだCAさんは可愛らしい。
が、この便、ブータンに直行しない。インドのバグドグラってところに寄ってから、パロに向かう。

【入国~ウィンディ・フォダン:8月10日】
パロの空港は両側が山で、多分操縦は難しかったのだろうけど、それほど危うさは感じませんでした。
で、成田を出てから19時間余り、ようやく、ブータンの地を踏みました。

空港に降り立って、最初に目を引くのが、国道ご夫妻の大きなお写真。一昨年、日本にも来られて人気でしたかな。珍しくて、何枚も写真を撮ったけど、その後、とにかく、いたるところでこの二人のツーショット写真を見ることになる。(ちなみに、3年前の旅行者のブログを拝見すると、ここには歴代5人の国王の写真があったようだ。)

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入国審査に並ぶと、歴代国王のお姿が・・・。全身を入れるところが、ブータン風なのだろうか。

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4代目国王は民主化を進めて、息子に譲位。今の5代国王の下、ブータンがどのように変わるか。まだ変わる前のブータン訪問となった。

空港で円から現地通貨ヌルタムに両替。
現金が必要なのは食事の時のビール代くらいなのだけど、土産物屋でもカードが使える店が少ないらしいので、ちょっと多めの1万円を両替。5935ヌルタム。1ヌルタム約1.7円。
こちらにも、歴代国王のお顔がずらり。

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ここから、マイクロバスに乗り込み、まずは首都のティンプーを目指す。
ちなみに、その道路事情ゆえ、ブータンには大型の観光バスはない・・・、ってことだが、さすがに首都と、第1の空港の間の道路は快適。

ティンプーでは、市民の台所「サブジバザール」を見学。この市場、金~日しか開いていないので、この行程となった模様。
途上国で市場に来ると、得も言われぬ臭いがするのですが、ここはそれがない。というのも、穀物、野菜しかなく、肉、魚の類がおいていない(正確には、干したものがほんの1区画だけ)のだ。
虫も殺さない敬虔な仏教国だからねぇ。動物を殺生した結果を人目にさらすってことはないのでしょうなぁ。(それじゃ、どこで、肉、魚を買うのかは聞き忘れた。)

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色とりどりに野菜が置かれている。今から50年前、パロに日本人の専門家が農業の指導に訪れ、大根から始めて様々な野菜作りが始まったそうな。中でも目を引くのが大量の唐辛子。こちらでは、唐辛子を香辛料としてでなく、野菜として調理するのである。(皿の右側、いかにもピーマンの振りをしているのがブータンの名物料理「エダマツィ」(唐辛子とチーズの煮込み)である。)

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このほか、今の季節はマツタケがとれるそうな。確かに香りはします。これくらいの奴が15本ばかり入った袋が500ヌルタムくらいだったかな。さすがに、持って帰ってこれないだろうから、買わなかったけど。

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バザールの向かい側、橋を渡ったところには雑貨のお店が並んでいるので、自由時間に探検。こちらも色とりどり。衣料品、おもちゃ、靴、雑貨・・・。豊かな感じします。
ちなみに、ここに渉る橋には、色とりどりの布がたくさん。これルンタと呼ばれるもので、総て1枚1枚お経が書かれていて、みなさんが奉納するのですわ。風になびくたびに、お経を唱えたのと同じ効果があるそうな。

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バザール見学を終え、この日の宿泊地、ウォンディ・フォダンを目指す。
ティンプーを出ると途端に道が悪くなる。基本的に、都市は川沿いにあり、都市と都市を結ぶ道は川沿いになる。
そういえば、どこにもトンネルがなかった。建設コストの問題もあるのかもしれないが、ブータン人は山を神聖なものとあがめている(したがって、登山なんぞも許可されないので、人類未踏の世界最高峰はブータンの山だそうな)から、穴をあけるなんて、とんでもない・・・ってことかもしれない。

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道路標識は万国共通ですな。

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途中で、検問所あり。看板には、移民局とある。何の検問所か訊いてみると、インドからの労働者が、ブータン国内を勝手に移動しないように見張っているそうな。そういわれてみると、工事現場で働いている人は、ブータン人ではなくてインド系の人が多かった。
ある工事で出稼ぎにきたインド人が、工事が終わった後に別の県に行かないように管理しているのだそうな。

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3150mのドチュ・ラ峠で休憩。ちなみにブータン語で「ラ」ってのが峠という意味なので、正確には「ドチュ峠」というべきですな。ここのは108の仏塔(チョルテン)が建てられている。これをぐるっと歩いてるときに、急に動悸が・・・。ワインディングロードをクネクネと上がってきたので気づかないけど、結構空気が薄くなってるんですな。

1990年代以降、インドのアッサム分離派ゲリラがブータン南部のジャングルを拠点にしていたため、国内治安の面からもインドとの関係からも、ブータンとしては出て行ってほしかった。
このため、2003年12月、前国王が陣頭指揮を執ってゲリラを追い出したそうな。これを2004年に王妃が記念して建てたのが件のチョルテンでした。
「幸せの国」なんて言われて、そういうイメージになってますが、国を守るためには軍事行動も辞さない・・・、これって当たり前のことのはずなんですけどねぇ・・・。

ってことで、この日は古い町、ウォンディ・フォダンの川が見下ろせるホテル泊。
夜、テラスに出て夜空を見上げたが、曇り空で星は見えず・・・。

(その3に続く)

幸せの国ブータン (その1)

昨年夏のモンゴルにつづき、今年の夏はアジア秘境シリーズ(だったのか?)第2弾、ブータンです。
正確に言えば、昨年、ブータン・スイッチがはいったのですが、それが7月に入ってから。そもそも、雨季でお祭りや花もなく、シーズンオフであるブータンのパッケージ・ツアー、ましてや関西出発のツアーが見つかるわけでもなく。かなり無理をして(最少催行人数二人のところをひとりで成立させて)モンゴルツアーに切り替えたわけです。

今夏は昨年の失敗を繰り返すことなく、GW前に始動。前年から名前はチェックしていたユーラシア旅行社が職場の直近であるという幸運もあり、早速申し込む。2か月後、何とか最少催行人数(10名)が集まったとのことで、2年越しの念願のブータンに行ってきました。

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【ツアー内容】
「幸せの国 プータン8日間」(2014年8月9日(土)~16日(土))というツアー。丁度、お盆の期間で休暇もとり易かったこと、帰国して中一日で出勤なので、体調管理もしやすいこと、などから「これっきゃない。」と申込み。

が、よく日程をみれば、土曜は夕方成田発、バンコクの空港で1泊して日曜の昼前にブータン入国、帰りは金曜の朝に宿を出て、バンコクの空港で8時間近く時間をつぶして土曜朝に成田着。20年前に仕事でよく使ったバンコク深夜便(「おはようフライト」)なのね。
つまり、ブータン観光には4日半しか使えないんですわ。

でも、まあ、そもそもブータンには「これ」と言って行くべきところが多いわけでもなく、他社のツアーを見ても、民家泊があったり、トレッキングがあったりという程度。九州と同じくらいの国土だというから5日あれば、まあ、必要なところは見て回れるという寸法。ちなみにツアー費は40万ほどでした。

唯一の観光ガイド「地球の歩き方」のほか、ブータンに憑りつかれた?学者さんの「ブータンに魅せられて」(岩波新書)、ブータン人に嫁いだ友人を訪ねた漫画家さんの漫画エッセイ「旦那サマはブータン人」も購入、気分と知識を盛り上げる。

旅行社が通勤経路上ということもあり、申し込みから度々足を運び、直前には添乗員さんにも直接ご挨拶を済ませ、気分はピークへ。

【事前準備~出国】
当然、初めての国。首都ティンプーの標高が2320mと、志賀・横手山山頂くらい。涼しいとは思うけど、そうは行っても夏だし。夏の海外はサンダルに短パンだけど、「ゾン(後述)」やお寺は長ズボンじゃなければいけないとか、3000m超のお寺参りは、ハイキング+αの装備が必要とか・・・。どんな格好で観光すれば判らなくなっちゃって、結局、出発の直前まであーでもない、こーでもない。

2014年8月9日、晴。
土曜の朝、JR成田線が故障で運転見合わせ・・・という情報もあり、振り替え客で混んでるかもしれないと、予定よりも早く家を出て、京成本線でのんびりと成田へ。
夏休み期間の初日だったけど、心配したJRの影響もなかったのか座っていけました。
途中、日暮里駅では、芝居仲間のKさんとバッタリ。なんでも、中国に行くそうな。

集合時間の1時間ほど前に成田着。
旅行の前々日にスマホが壊れて、この旅行には代替機持参となることもあり、いつも出ているdocomoの出店で、パケ死しないようにチェックしてもらう。(そこで、これなら間違って使うことも絶対ありません、と「海外1dayパケ」なんてものを勧められて、あっさり登録してしまったのはナイショである。)

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集合時間の30分ほど前にカウンターへ行くと、既に顔なじみの添乗員のNさんがオイラを見つけてくれる。どうやら、その周りをウロウロしている人たちが同ツアーの人らしいが、特に紹介してくれるでもなく、封筒を渡され、スーツケースを預けて、集合時間まで放牧。
で、集合して、チェックインして、各自、出国審査。搭乗口で再集合。

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そしたら、やることは、GWでも夏休みでも一緒。
例のところで、出国のビールですわ。

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バンコクまでの飛行機はタイ航空(TG)。GWのバンクーバー便がANA、エアカナダとTGのコードシェア便であることが多く、時折、タイのCAさんも見た気がする。まあ、今回はタイの人が殆どでしたが。

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飛行機の中では、タイの缶ビール2本、ワイン赤・白と頂き、「小さなおうち」「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」あたりの映画を観てました。にしてもTG機内は冷え過ぎ。毛布をかぶってたけどダメ。多分、風邪を引いちゃいましたわ。

で、バンコクのスワンナプーム空港着。だだっ広い空港。延々と歩いて空港内のホテル・・・、なんだけど、ここで一回セキュリティチェック。何故?
近いのはありがたいが、wifiも有料だし、カーテン開けたら、すぐそこが空港内の通路で、スーツケース転がしながら50センチ先を客が歩いてるし・・・。

数時間まどろみ、4時半モーニングコール、5時半集合で、こんどこそ、ブータンへ!!

(その2に続く)

【劇】 兄おとうと (こまつ座)

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ブータン前の「朝日」いらほぼ2週間ぶりの芝居である。それでも通常のペースよりも早いくらいなのに、なんか、ずいぶん久しぶりの気がする。
新宿三丁目からサザンシアターへ向かったが、副都心線のホーム経由は歩きにくく、さらに高島屋に入ってからの案内表示が分かりにくい。1階の化粧品売り場を右往左往してしまいましたよ。

さて、前日のこまつ座はてんぷくトリオのコントってことでイレギュラーでしたが、今回は歌あり、踊りありのいつものこまつ座。(しかも音楽はピアノの生演奏)

タイトルの兄弟とは、政治学者・吉野作造とその弟で、農商務官僚・吉野信次。
10歳離れたこの兄とおとうとは、何やらギクシャク。とくに、リベラル(当時の世情からいえば急進的)な思想をもつ作造と、天皇の臣下であるとの意識がゴリゴリの官僚である信次は会話が成立しない。それでも実の姉妹であるそれぞれの妻を仲立ちに、実はお互いを深く尊敬・敬愛していることがわかる・・・っていうことを、この兄弟が一つ屋根の下で布団を並べた生涯にたった5晩だけのエピソードでつづっていく。

作造のせりふを借りて、国とは何か、憲法とは何か・・・、を問いかける。

「憲法は国民から国はこうあるべきという命令、法律はそれを受けて国民はかくあるべしと決めたもの」
「国とは、民族、宗教、文化、歴史、言語などによっても結ばれたものではない。ここでより良く暮らしたいと願う人々の集まりである。」
「国は、その境を越えて悪いことをしてはいけない。悪いことをすれば、それは国民に戻ってくる。」

(いずれも、正確に覚えてはいないが、こんな趣旨のせりふ)

欧米諸国に学んだ作造の感覚は必ずしも日本をはじめとするアジア(例えばブータン)にぴったりくるものではないとも思うのだが、一方で、2014年の今聞いても、ビクッとしてしまうような普遍性を感じるのはさすが井上ひさしである。

登場人物。この兄弟の妻である姉妹の何も動じないあっけらかんとした明るさ、なんでも歌と踊りにしてしまうインド映画的な振る舞いは「そんなわけねーだろ。」と思いつつも、ホンワカするのです。
で、特筆すべきは、小嶋尚樹、宮本裕子という二人の脇役。小嶋は作造の友人・青木から始まって、千葉の交番の巡査、作造暗殺を企てる右翼の青年、説教強盗の夫、そして町工場の社長と場面ごとに5役を、宮本も、吉野家の女中、銀時計と財布を盗む貧しい女工、留学してきた袁世凱の娘、説教強盗の妻、そして町工場の社長の生き別れになっていた妹で大連の女衒の5役を見事に演じ分けている。芸達者。

観劇日:2014年8月20日
小屋 : 新宿・紀伊國屋サザンシアター
木戸銭:6500円

新宿で献血(91回目)(2014.8.6)

ここのところ、献血というと、前回からの感覚よりも、1年間1200ml(400ml献血だと3回)の縛りがきつい。
今のところ、4月、8月、11月のサイクルで献血をしている。

これというのも、GWのウィスラースキー、夏休みの観光旅行と海外へ行って、帰国後1カ月の縛りに引っかかる前に献血、ってことで、ほぼ固定化している。11月は特に理由はないが、8月からの3カ月縛りが解けてからすぐに行っているようであるが、いずれにせよ、スキーシーズン前には行くことになっているみたい。
この1年間縛りはやっかいで、1年前の献血と同じ日に献血しないと、だんだんとペースが遅くなる仕組みになっているのであります。

で、前回のGW前から1カ月、モンゴル前からも1年たった午後に時間ができたので、行ってきました。

【献血ルームへ】
Img13611
歯科治療を受ける予定で午後休みをとっていたウィークデー。「出血を伴う歯科治療」をすると3日間は献血できないけど、今回は治療はなしで、旅行中に痛くなった時の薬を出してもらうだけだったのでセーフ。診察時間もあっという間だったので、思惑通り、旅行前献血をすることに。

前回と同じ新宿東口だが、ここには二つのルームがあり、今回行ったのは、ブックオフの入っているビルの9階にある「献血ルーム 新宿 ギフト」。

日赤のWEBサイトによれば「新宿ギフトは「ファッション×献血」というテーマのもと、2012年9月にオープンしました。それ以来、若い方を中心に多くの皆さまにご来場を頂いております。休憩スペースには文化学園の生徒さんによる素敵なアクセサリーやバッグなどが展示されており、ゆったりとお休み頂ける空間となっております。」。

一階にTHE SUIT COMPANYが入っているので、そのおしゃれなフロアをかりゆしウェアを着てエレベータに行くのはちょっと勇気がいりますな。でもって、エレベータを降りると、およそ献血ルームらしからぬショーウィンドウが。

【受付】
Img13610午後の受け付けは1時半から。1時過ぎに行ったら既に3人ほどが順番待ち。整理番号を渡されて、献血カードと本人確認まではやってくれて「申し訳ありませんが、受け付けは1時半からで・・・」はい、それは百も承知、涼しいところで休ませてもらえればそれで結構。前回入会した複数回献血クラブのカードも渡す。

荷物をロッカーにしまい、血圧を測って新聞、雑誌、マンガと並ぶ中で、やはり平日なので(謎)、新聞に目を通して待ちます。

定刻チョイ前から順次受け付け開始。最近は、個人の受け付け表等をプリントアウトしなくなったようです。
体重、昼食、睡眠、体調等を簡単に聞かれ、タッチパネルの表示をみながら、住所その他の確認。

その後、タッチパネルで問診に答えていく。「初めて異性との性交渉・・・」なんて項目、高校生だったら、ドキドキしちゃうだろうな。

【問診】
受付後、ロビーで待機。WEBサイトにあるように、いろんな作品が置かれている。献血前なので、例によって温かいものを飲んで待つ。

整理番号を呼ばれて、問診室の前で待機、ボランティアの女子大生(女子高生?)がついててくれる。文化服装学院の学生さんかと思ったら、そうじゃないみたい。

問診室は1部屋。ここも完全に扉が閉まるようになっていて、プライバシーには配慮されている。おいらよりもちょっと上くらいの女医さん。
パネルで既に答えていることも含めて、ひとつひとつ丁寧に質問。モンゴルに話題が飛んだので、ヤバいと思い、「都市部しか行ってませんし、その後11月、4月にも献血してます。」と先回り。

【検査】
検査はいつものとおり、左腕から。特に問題なし。そういえば、関西では何度かやったしびれるかしびれないかのテストは東京では全くないですなぁ。

【採血】
何故か献血ルームに多い、カントリーマームや歌舞伎揚などの袋菓子のほか、「神戸ドーナツ」ってのがあったので、そいつをかじりながらカフェオレを飲みます。昼飯食ったばかりなのにねぇ。

いろいろと調べると、平日はハンドマッサージとか占いとか、いろんなイベントをやってるんですねぇ。「処遇品」というモノで出せなくなったから、こういうサービスで人を呼ぶんですなぁ。さすがにマッサージは、献血前にやるらしいので、その後、献血できなくなったら、マッサージ丸儲けですな。

ほどなく、渡されていた呼び出し受信機がピヨピヨ(実際には、どんなメロディだったか思い出せない。)。

採血台は20弱くらいかな。先の順番のひとのうち一人が採血できず・・・だったので2つしか埋まってない。看護婦さんは2、3人かな。検査もそうだったけど、平日の午後って、ゆったりしているのね。

申込票がないので、各採血台についてるタッチパネルで情報を呼び出し、かつ、入力してました。

テレビを見ようと思ったけど、平日の午後何て何を観たらいいのかわからない。順調に6分ほどで採血終了。

【採血終了】
この時点で、14時過ぎ。
冷たい飲み物はベンディングマシーンのほか、紙パックのものが冷蔵ケースに冷えているので、こちらからビタミンCの多そうなやつを頂いて待つ。5分ほどで名前を呼ばれて、さっきのボランティアのおねーさんから献血カードが戻ってきました。
でもって、「複数回献血クラブ」の特典として、不思議な財布というか、小物入れというか、を頂きました。


【処遇品】

何て言えばいいんだろう、この財布、週末からのブータン旅行に重宝しました。ペンやら、メモ帳やら、お金やらパスポートやらを、まとめておける。ま、これを盗まれたらアウトなんですけどね。

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2014.08.07

NEW減量日記91

【2014年6月22日(日)~2014年6月28日(土)】
(週平均67.00kg 16.93%)
67.3kg(18.3%)→67.3kg(18.3%)→67.6kg(18.3%)→66.9kg(18.5%)
→66.3kg(18.2%)→66.6kg(17.5%)→?kg(?%)
休肝日を3日作りました。この頃はまだ、何とかなってます。

【2014年6月29日(日)~2014年7月5日(土)】
(週平均67.52kg 17.92%)
67.1kg(17.4%)→?kg(?%)→67.6kg(18.1%)→67.5kg(18.5%)
→68.2kg(17.7%)→67.3kg(17.1%)→67.4kg(18.7%)
芝居を観るとどうしても晩御飯が遅くなります。この辺りから増量傾向が・・・。

【2014年7月6日(日)~2014年7月12日(土)】
(週平均66.80kg 17.90%)
?kg(?%)→67.5kg(18.6%)→66.8kg(18.8%)→66.5kg(17.5%)
→?kg(?%)→?kg(?%)→66.4kg(16.7%)
週の真ん中は伊豆大島に出張しました。そのほかは休肝日が4日、土曜日はジョギングもしたんですが。

【2014年7月13日(日)~2014年7月19日(土)】
(週平均67.15kg 17.25%)
66.5kg(17.6%)→67.0kg(17.7%)→67.0kg(17.5%)→67.7kg(17.2%)
→67.3kg(16.9%)→67.8kg(16.6%)→?kg(?%)
休肝日のない一週間でした。

【2014年7月20日(日)~2014年7月26日(土)】
(週平均68.02kg 17.28%)
?kg(?%)→?kg(?%)→67.7kg(17.5%)→68.3kg(17.2%)→67.9kg(17.5%)→68.8kg(17.7%)→67.4kg(16.5%)
3連休は志賀を歩きましたが、その分BBQやら、何やらで食べちゃうからなぁ。ついに週平均で68キロ台をたたきだしちゃいました。

【2014年7月27日(日)~2014年8月2日(土)】
(週平均67.90kg 17.53%)
67.9kg(17.1%)→67.4kg(18.0%)→68.9kg(17.5%)→68.9kg(16.6%)→67.1kg(18.3%)→67.5kg(17.2%)→67.6kg(18.0%)
日曜日には5キロほど走ったのに、月曜日は3軒ハシゴ、火曜日は職場の暑気払い、なんと、69キロに近づいちゃいました。ここで、本気で減量を始めますよ。

2014.08.06

【劇】 朝日のような夕日をつれて2014

Sasa
第三舞台の代表作、何度も再演された芝居の17年ぶりの上演だそうな。といっても、残念ながらおいら前作は観てません。何てお行っても、第三舞台そのものを観たのが、「解散公演」と銘打った「呼吸する惑星」だったのですから・・・。おいらにしては早め、20分ほど前に劇場入りすると、鴻上さんが手持無沙汰に立ってた。こういうときって、話しかけていいものやら・・・。さすがに、いきなりツーショット写真やら、パンフにサインはまずいだろうしなぁ。

全くの事前勉強なし。チラシに入っていた鴻上さんの手書きのあいさつ文と、パンフ(1000円)の小須田さんのところだけ読んでのぶっつけ観劇。
暗転から薄闇の中ボソボソと聞き取れないセリフ、それを追いかけるように大勢の声がユニゾンしてせりふを朗誦していく。5人の実態と映像が重なり合いながら幕が開く・・・、って、もう、どんだけ筆力がないんだ>俺

お話は「立花トーイ」というつぶれかけたおもちゃ会社の新規商品開発と、「ゴドーを待ちながら」が、交錯するのだ。
小須田さんはこの会社の社長、そして部長役の大高さんってのが第三舞台時代からの役者さん。
残りの、研究者(藤井隆!)、マーケティング担当、そして、少年役が今回初参加メンバーなのだそうな。

立花トーイの物語は、何となくルーズヴェルトゲームを思い出させましたわ。商品開発にまつわる、これまでの数々の失敗作のお話が延々と。このお芝居ができた1981年からの33年の物語でもありますな。
舞台奥にしつらえられた大きなLEDビジョン?が効果的に使われてます。

もう一つのゴドーの方は、とにかく小須田さんと大高さんが、待ってる間に延々とショーもないことをするんですわ。最初はキャッチボール、そこから、ダーツだったり、巨大フラフープだったり、なんかもうよく覚えてないけど。
まあ、おいらと同世代のお二人が動く動く。それに、よくまあ、あれだけのせりふが入ってるなぁと、そりゃプロだからね。

いくつもツボのせりふにツボのシーンもあったんだけど、ネタバレになるし、何よりも覚えてないのでね。
mixiやら、脱法ハーブ(危険ドラッグじゃないよ)やら、アナ雪やら、時代ネタも満載でしたね。「一生初任給」(だっけ?」なんていうセリフも面白いし、少年をイジってるときの残り4名の冷め方とか・・・。

観終わってから、いろんな人の感想文をネットで探すと、深遠なメッセージ(舞台には出てこない「ミヨコ」の存在)があったようだけど、ごめん、全く、判らなかったわ。

とにかく、2時間、おもちゃ箱をひっくり返して、かき混ぜて、それでいて、最後にはちゃんと箱にしまった・・・っていう印象のお芝居でした。

カーテンコールが鳴りやまなかったのだけど、大高さんが「明日は2ステージです。早く帰りたい。」のせりふが総てを物語ってる。


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2014.08.01

【劇】 ミス・サイゴン (東宝ミュージカル)

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言わずと知れたミス・サイゴンである。
正直言うと市村エンジニアが見たくて、チケットを押さえたのですよ。B席4000円だけどね。
そしたら、何とまさかの休演。胃がんで療養に入るって言うじゃありませんか。しかたないっちゃぁ、しかたないんですがね。まあ、何というか、テンション下がった状態で観にいった訳ですよ。

そしたら、駒田エンジニアが案に相違して良かったんですわ。
多分、市村エンジニアだったら、立派過ぎるんだけど、駒田エンジニアはなんていうか、チンピラ感と言うか、夢見て果たせなかった哀れさっていうか、そういうものが良く出てたのね。指し所のころはセリフが良く聞こえなかったけど、それは2階席のせいだよな、きっと。歌もうまいし、
ちょっとした拾い物でした。筧エンジニアは前回見ているので、まあ、よかったということで。

で、今回は実物大のヘリコプターも復活。で、2階から観ていて感じたのだけど、これって、最前列で見てたら
、やっぱ目のやりどころに困るんだろうな。

# 年間観劇本数、過去最高を更新しました。

観劇日:2014年7月31日
小屋  :有楽町・帝国劇場
木戸銭: 4000円

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