【劇】 東京裁判 (パラドックス定数)
「おそらくあと一時間もすれば、此処は傍聴人で溢れ返るだろう。煌々と照らされたその広い空間の片隅に、彼等五人の席がある。
弁護団主任弁護人。
『人類の知る最重刑』を求刑する検察団を相手に、彼等は真っ向から勝負を挑む。個人の尊重を懸けた、言葉の戦い。
1946年東京、市ヶ谷。極東国際軍事裁判所本法廷。
祭りの落とし前をつけるべく、世紀の裁判が開廷する。」(劇団WEBサイトより。改行位置等変更。)
極東軍事裁判の冒頭での、判事、検察と弁護団の息詰まるやり取り。判事、検察官のセリフは時折、通訳役の弁護士等が代弁するが、基本的には弁護人5人のセリフだけで見せる。
舞台上は写真(2012年公演のチラシ)のとおり、大きなテーブルに椅子5脚。
開演前は、何となく「12人の怒れる男たち」のように、この弁護人たちのやりとりだけなのかと思ったが、あの法廷の配置どおり、(舞台上手にいるはずの)判事に語りかけ、(舞台客席側にいるはずの)検察団を睨み付け、そして、(舞台下手にいるはずの)被告たちを見守りながらの演技、本当に劇場全体が東京裁判の法廷になったようであった。。
素晴らしい構成ですわ。
たまたま戦後70年の今年、極東軍事裁判の記録集を読んだこともあり、ある程度判っているつもりだったけど、「ポツダム宣言とニュールンベルク裁判(平和に対する罪・人道に対する罪)の関係」「日本の報復権」といったことが日本側からは知らなかった。
また、主任弁護団に、広田弘毅の息子が弁護士として加わっていたこと、広島で被爆した弁護士がいたことなどは、事実なのかフィクションなのかは判らないが、ストーリーを分厚くしている。
「戦勝国に一方的にやられた」「国体護持のためにいけにえを差し出した」というイメージがあった東京裁判だったが、ここまで熱く「司法」というものを議論しようとした日本人が、あの混乱の中にいた・・・、という設定(事実なのか作り話かは別として)には、心躍るものがあった。
観劇日:2015年10月23日(金)ソワレ
また、主任弁護団に、広田弘毅の息子が弁護士として加わっていたこと、広島で被爆した弁護士がいたことなどは、事実なのかフィクションなのかは判らないが、ストーリーを分厚くしている。
「戦勝国に一方的にやられた」「国体護持のためにいけにえを差し出した」というイメージがあった東京裁判だったが、ここまで熱く「司法」というものを議論しようとした日本人が、あの混乱の中にいた・・・、という設定(事実なのか作り話かは別として)には、心躍るものがあった。
観劇日:2015年10月23日(金)ソワレ
小屋:六本木・俳優座劇場
木戸銭:3800円
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